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「ギョーザ事件」の幕引き図る中国

 「餃子」をめぐる日本と中国のやり取りを見ながら、今回の食品の安全に関わる問題を含めて、黄砂や大気汚染など数多くの日中間の環境問題は、「どちらが正しいか」という建前だけの、きれいごとでは解決できない「政治問題」であるということを、改めて認識した。

  日本側が国内での事件と同じように、その原因、背景などを事実に基づいて科学的に検証しようとしたのに、中国側がある日突然、「中国側の責任ではない」と の、「まず結論ありき」の発表をして、この問題を封印するかのような政治的決着に持ち込もうとしたことである。日本側の指摘した、密封した袋の内側から農 薬が検出されたという問題については、「10時間もたてば袋に浸透する」と発表。しかし、その具体的な実験データが示されたわけではなかった。

 中国側は、無論、これが「政治的発表」だとは言わない。しかし、事態の推移に興味を持って、固唾を呑んで見守っていた私のような人間にとっては、「中国側は、政治的幕引きを狙った」と映った。

 忖度するに、中国は今回のギョーザ事件に関して、次のような理由で一応の幕引きを急いだのだろう。

  1. ただでさえ、空気や水など環境面での懸念が大きい北京オリンピックを控えて、「大丈夫だ」と太鼓判を押したはずの食品で、あらためて世界的に懸念が高まることを防ぐために、この問題に素早く決着を付けたかった
  2. 調べれば調べるほど、日本側に瑕疵がなかったことを認めざるを得ない状況に追い込まれる前に、急遽発表し、国内的にも対外的にも中国の立場を印象づける必要性があった
  中国国内の政治情勢も、密接に関連している可能性がある。例えば、捜査当局と輸出検査などを担当する部局の確執がある。日中両国の捜査当局の協力がうたわ れた直後に、「中国側には責任はない」という不自然な発表をすること自体が唐突であり、中国側が抱える問題を露呈したように見える。自信があったら、じっ くり調査に応じたはずだ。今後も細々と続けられる調査の結論を見守る必要があるが、私には今はそう見える。

中国国内の政治的プレッシャーは「成長加速」

  それにしても、今回のギョーザ事件をめぐる中国サイドのかたくなな姿勢は、日中間に横たわる環境問題の解決が難しいことを示唆している。長崎県・五島列島 でも光化学スモッグが起きる怪現象は、明らかに中国の大気汚染のなせるワザである。しかし中国は、これを容易に認めようとはしない。黄砂についても、最近 の日本が受けている被害を鑑みれば、中国にゴビ砂漠緑化に努力するようにも言いたいが、今の日本は、「この問題については、言ってもダメだろう」と勝手に 判断して、発言する気概もないように見える。

 中国の政府当局が抱えている政治的矛盾は 深い。環境問題の深刻さは身にしみているに違いない。しかし、まだ数億人の国民が、世界でも最も貧しい生活を余儀なくされているという現実を考えると、今 の10%以上の成長を大幅に落とすような政策は取りにくいし、中国におけるエネルギー供給の太宗である石炭使用を大幅に制限することもできない。しかし、 その石炭使用は、確実に中国の空を、そしてそれが偏西風に乗って届く朝鮮半島や日本、さらには米国の大気まで汚染している。空気に国境はない。

  残念ながら、中国国内の政治的プレッシャーは「成長加速」にある。われわれ日本人は、たとえ成長が加速しても、それが環境に配慮したものでない限り、その ツケが後世に大きく回ってくることを十分に知っている。しかし、豊かになるために今すぐに職が欲しい人に、環境問題に起因する成長の制約に関して話して も、なかなか認められないだろう。

 そういう政治的背景を背負った共産党一党独裁の中国政府と、環境問題の交渉をするのは、ギョーザ事件以上に難しい展開になるだろう。

  今の日本の政治を見ていると、まるで世論先導型である。国政選挙で多数をとっても、一つひとつの問題では、必ず政治家は世論の動向を見ようとする。しかし 中国では、新聞、ラジオ、テレビなどマスメディアを政府ががっちり押さえている。ギョーザ事件の報道でも、政府の意向がよく見える報道または不報道ぶり だった。ネットでは自由に意見を交換しているように見えるが、「夜の情熱」の部類に属するネットでの書き込みは、しばしば「愛国」などの情緒の横溢で終 わってしまう。ネット参加者が科学的根拠をもって議論することは希だ。

日本は中国国民を味方につける努力を

  しかし、中国の政治的状況も徐々に変わるだろう。中国の政権は代替わりするたびに、革命を主導したという権威が薄れて、現在、または将来の国民の生活をよ くするという政治的結果を求められる状況になってきている。「統治の正統性」は、経済成長と国民生活の質の維持にかかっている。そういう意味では、中国の 政治も国民の意思を無視しては成り立たなくなりつつある。

 最近の温家宝首相は忙しい。 物価が上がれば北京の庶民の家に行って、「これ以上、物価、特に食用油や豚肉が値上がりしないようにする」と約束したかと思えば、旧正月を控えた時期に、 大雪のために広州で列車が止まれば、ハンドマイクを持って「旧正月には帰れますから」と演説をする。先の全人代では「ギョーザ問題」には一切触れずに、し かし、「食品の安全性向上には力を尽くす」と述べた。中国の政治家が国民に頭を下げるなどということは、毛沢東や鄧小平の時代には考えられないことだっ た。

 そういう意味では、日本は中国との環境問題の交渉においても、可能な限り、 中国国 民を味方につける必要がある。いたずらに中国人の「国家意識」を刺激するようなことをしないほうがよいし、場合によっては、より多くの中国の人々に、環境 の保全は、中国国民の将来にも役立つことを諭していかねばならない。

 これは中国だけにかぎらない。途上国との環境問題に取り組むうえで、どこの国が相手でも言えることだ。自ら問題に取り組むことが、長期的には、それらの国々の国民生活にも役立つことを示さなければならない。

  もっとも、環境問題が政治そのものであることは、中国に抜かれて世界第2位の二酸化炭素排出国になった米国でも同じことである。しかし米国は、今年の大統 領選挙を経て、どの候補が大統領になっても、大きく「環境保全」に向かって動く可能性が高い。そういう意味では、優れて政治的な中国を、どうやって環境保 全に向かって動かしていくのかが、世界の環境団体や日本に課された大きな課題だと思える。

http://premium.nikkeibp.co.jp/em/column/itou/18/03.shtml
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